あなたの英語学習に「相手」はいますか?
英語学習は試験で高い点数を取るためにやってはいけない。英会話に限らず、英語学習は良いコミュニケーションをする目的のものである。コミュニケーションとは、あなたが伝えたいことを伝え、相手が伝えたいことを理解する。英語学習はそれが英語でできるようにするためのものなのです。
ほとんどの人がそのことを知らないか、忘れてしまっている。
達成するための中間目標として、TOEICで高い点数を取ろうとすることは間違っていません。高いリスニング能力や高いリーディイング能力は、相手からのメッセージの理解力向上に役立ちます。
もちろん、参考文献で英語の論文を読んだり、英語翻訳などは必ずしもコミュニケーションを伴わないこともあります。しかし言語の根底にあるのは人が伝えようとしているメッセージであるという認識で言語習得に取り組む姿勢は大切です。
私は中学から英語を学校で習い始め、高校受験と大学受験を経験してきました。しかし英語がコミュニケーションツールだと考えたことは一度もありませんした。頭にあったのはいかに点数を高く取るか、それだけだったのです。
社会人になったら今度はTOEIC。これも点数主義ですよね。外資系企業や大企業は入社にTOEIC700~800点以上を課すところも多いのではないかと思います。
英【会話】学習の重要性
英語で会話する経験は、私の学生時代には皆無でした。大学時代にネイティブ講師が英語を教えることがありましたが、自分の言葉を伝える会話ではなく、先生の質問やテキスト問題に答える程度。英語の授業で教科書をオウム返ししているだけのやりとりは「英会話」ではなく、コミュニケーションと呼べるものではありません。
ほとんどの日本人が外国人に何か尋ねられても答えられないのは、英語を自分のメッセージとして相手に伝える経験を全くしていない人が多いからです。
私が英会話の経験をようやく手にしたのは26才のときでした。初めての海外旅行、アメリカへ行ったとき。外資系航空会社だったので、飛行機内での飲食の際や入国審査(イミグレ)での会話が、実質自分の言葉で英語でコミュニケーションした最初の出来事です。遅すぎですよね。
このとき自分の英語能力に呆れた、ある事件がありました。
初めてアメリカ旅行したとき、ランチに一人でサブウェイ(中味を選びながらサンドイッチを作ってくれるファーストフード)に行ったときのことです。実は注文しようとしたところ、私が相手の言ってることが1ミリもわからず、全く注文できなかったのです。
マクドナルドであれば、セットの番号を言えば注文ができます。しかしご存じの人はわかると思いますが、サブウェイはそういうシステムではなく、パンの種類を選んだり、どの野菜を入れるか、ソースは何にするかなど事細かく注文する必要があります。
不幸なことにサブウェイに行くのは生涯初だったため注文システムを知らず、注文時にコミュニケーションが取れないことが大きな障害になってしまったのです。
初めての外国という緊張もありましたが、あれはとても恥ずかしい経験でした。10年間の英語学習は一体何だったんだと、自分の英語力のなさに怒りさえ覚えました。
留学経験も家族で海外旅行もしたことなく、外国人とふれあう機会がない私は、外国に行ったことで英語がコミュニケーションツールであることに初めてリアリティを感じたんです。でももし私が海外旅行をしなかったら、もしかしたら英語がコミュニケーションツールであることに一生気付かずにいたかもしれません。
英語しか通じない相手に英語でメッセージを伝える、相手からメッセージを受ける。この経験があって初めて英語がコミュニケーションツールであることを認識できるのだなと痛感しました。外国人と交流する場所や機会に乏しい日本は、英語がコミュニケーションツールである認識が生まれにくいのだと思います。
英会話から始める英語学習
初めはもちろん英語なんて何もわからないはず。しかしある程度英語の基礎を学んだら、やはり英会話をやるべきです。目的はただ一つ、英語がコミュニケーションツールであることを認識するためです。そしてその内容も、教科書にあるような疑似会話のシミュレーションではなく、自己紹介であったり、自分の意思メッセージを相手に伝える本当の会話にするのです。
日本の学校の授業は、ほとんどが受動的に行われていると思います。アウトプットよりもインプットが重視されます。しかし、英語はコミュニケーションツールですから、アウトプットがない一方通行の授業は偏った英語のスキルしか付けることができません。
受験英語やTOEICの高得点目的ならそれでも十分かもしれません。しかし英語を学ぶモチベーションがそれらに限られると、英語学習は目標点数に達成したとたんに終わりを告げます。やる必要性、意味がなくなるからです。
英語がコミュニケーションツールであることを認識しないまま終わりを告げることは、本当に不幸なことです。もっとその先にある世界中の人たちとコミュニケーションをする楽しさを知らずに、せっかく長くやってある程度高めた英語スキルは衰退する一方なのですから。
英語で自分のことを紹介したり、自分の考えを述べる。そして外国人のことをダイレクトな会話を通じて知ることができる。そういったコミュニケーションの醍醐味を知らずに英語学習をしていることは、とても不幸なことだと感じます。
さいごに
つい先日、私がオンライン英会話のレッスンをやっているところを、子どもに見せる機会がありました。感想を聞いてみると、「何言ってるのか全然わからなかった」と言うことです。当然ですよね。でも親が自分たちと全く違う言葉を話し、全くわからない言葉を理解している姿は、違う世界のコミュニケーションの存在をリアリティをもって知るきっかけになります。
駅前留学や語学留学だったらそれは不可能でした。自宅留学、すなわち自宅など好きな場所で英会話を学べるオンライン英会話だからこそ、生活の中に自然に外国人とコミュニケーションする習慣を取り入れ、子どもたちにもそのことを知ってもらうことができたのです。テレビで見てるだけとは違う、生身の外国人と会話している風景は子どもが見る機会なんてそうそうないものですよ。
私は純日本人の両親のもとに生まれ、祖父祖母親戚関係の誰一人英語とは無縁の環境で育ちました。だから身近な人が英語を話していることに遭遇することはありませんでした。私が学生時代にどこかで生の英語コミュニケーションに触れていたら、もっと英語学習に対する考え方も変わったのではないかなと感じるところがあります。
今の時代、オンライン英会話のおかげで「リアル」な英会話をする機会を簡単に作れるようになったのですから、誰もがコミュニケーションの相手がいる英語学習を中心に、本質的な英語を身に付けるべきです。