間違いや失敗が「悪」では英語は身につかない
学校の試験にしても、社会に出て仕事するときも、人はみな失敗しないように努めますよね。英語学習にしてもTOEICで点数を取るのであれば、当然間違いが少ない程点数が良くなります。
私たちは全てにおいて、間違えることや失敗することは「悪」と教えられてきています。
しかし英語学習においては、間違えたり失敗することこそが大事であると私は確信しています。なぜなら、言葉は間違えながら覚えていくものだからです。間違いながらもまず一番大事な自分が言いたいこと、伝えたいことを伝えることを目的に言語を学ぶことが本来の言語学習のあり方なのです。
特に日本人は間違えることに敏感すぎるようです。間違えるくらいなら、失敗するくらいなら何もしない方がいいという人が多すぎると感じます。
特にグラマー、文法上の間違いは、間違うことによって自分の教養を疑われることを恐れている人が多い。文法を間違えることで「この人(簡単な)英語もできないんだ」と思われてしまうのを恐れているからです。
正直私も未だに英語を話すときは、文法にものすごく気をつけてしまう癖が抜けません。三単現のsを付ける、時制、仮定法…などなど。もちろん正しい文法の方がいいに決まってますが、話の内容の方がもっと重要なはずなのに、むしろ内容より文法の正しさを優先してしまうのです。
間違うことを恐れないから子どもの言語習得は強い
まだ2才や3才の子どもなら話せなくても全く気になりませんよね。本人も間違うことより何かを伝えよう伝えようとする方に一生懸命です。間違えたから恥ずかしいなんて微塵も思っていません。言語の形よりも内容がきちんと伝わるかどうかが最優先になっています。もし間違ったとしても、親がきちんと正しい言葉を教えてあげられます。そうやって少しずつ正しい言語の形を覚えていくのです。
英語学習でも同じことが言えるはずです。文法がどうのこうのとか、正しい発音や単語より、何を伝えなければ行けないのか、相手とのコミュニケーションに重点が置かれる。そういう場面の経験を積まなければいい会話ができるわけもないのです。
いや、そもそも目的が間違っていて「楽しい会話をする」「言いたいことを伝える」などではなく「正しく英語を使う」ことになっているんじゃないでしょうか。正しい英語なんて、第2外国語として学んでいる我々には永遠に習得することなど叶わないのに。
言葉は一人では習えない
子どもの場合は、親や年上の兄や姉が言葉の先生になってくれます。間違いを正しい言い方に替えてくれたり、知らない言い方を教えてくれたり。英語学習では、その役目を学校の英語の先生がするはずが、結局マンツーマンでの授業が難しく、なおかつ試験のための勉強なので「そもそも間違えてはいけない」空気の中で授業が進みます。そして間違えるとクラスのみんなに笑われたり、辱められることも多いです。これでは言語習得など無理に決まってます。
間違えることを恐れていると、なかなか口から言葉が出てきません。「これって正しいのかなぁどうなのかなぁ」と疑心暗鬼で発される言葉では相手とうまくコミュニケーションするのも難しくなりますね。間違っても大丈夫と思える英語学習環境の構築が大事なのです。
英語学習で大事なことは?
積極的に間違える。これは簡単なようでなかなか難しい。大人になるにつれ、怒られないように振る舞う、優等生でいようとする態度や習慣は、無意識的に体に染みついています。相手が日本人だと英語を話しにくいのはまさに「間違えたら恥ずかしい」という気持ちが前面に出てきてしまうからです。
英語学習で大事なこと
・間違っても恥ずかしいと全く思わないような態度や環境で学ぶべし。
・間違えてもいいから積極的に内容が伝わることを重視すべし。
・間違ったことを指摘して直してくれる講師の存在は必須。
積極的に間違える習慣を身に付ける場所としては、オンライン英会話が最適です。フィリピン人講師も第2外国語として英語を習っていて、間違いに対してものすごく寛大だし、間違いをきちんと受け入れてくれて、正しい英語を指導してもらえます。
これは講師との相性にも依るとは思いますが、私の経験的に相手がネイティブ講師よりずっと気楽です。そういう面でも、フィリピン人講師は日本人の英語学習の相手としてとても合ってるなぁと強く感じます。
間違えるほどに、身についていくのが言語です。積極的に間違える。英語習得の意外なキーポイントです。